伊勢型小紋 南部幸雄 九段縞 浜紬

2023/01/26


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メーカー設定価格 418,000円


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伊勢型
南部幸雄
重要無形文化財
彫師×染師 神業の競演
作品名 九段縞
浜紬地

期間限定販売



伊勢型

伊勢型

伊勢型

伊勢型

伊勢型






【型紙製作者】南部幸雄
【染元】染処古今(所在地:京都
【品質】絹100%:浜紬
【生地幅】約38.5cm(裄丈約71cm 1尺8寸8分まで対応)
【着用時期】10月頃から翌年5月頃(袷の季節)6月 9月(単衣の季節)





神業とも言える彫師の手仕事、研ぎ澄まされた染師の感性が融合する事によって完成される伊勢型小紋。
連なる線が奏でる旋律の様な型紙の美しさ、染め上がった布が放つ煌めき。それらは卓越した職人技によって生み出されるのです。
本品は滋賀県長浜の浜紬に、故)南部幸雄氏が彫り上げた伊勢型紙を用い、伊勢型専門染工房「染処古今(そめどころここん)」の染師によって染め上げられました。









伊勢型







九段縞・・縁起の良い吉数をイメージした文様
高さが異なるブロックを九段積み上げた模様に縞柄が組み合わさった一風変わった幾何学文様。
古来より中国では奇数は縁起の良い「陽の日」とされ奇数が重なった日を祝いの日と考えられていました。一桁の奇数の中で最大値である九が重なった9月9日を「重陽の日 重陽の節句」としその考え方が平安時代に日本に伝わり、家族の無病息災や子孫繁栄、不老長寿を願いました。
現代においても奇数が重なる日 五節句の風習が残っています。

1月7日・・人日(じんじつ)の節句(七草の節句)
3月3日・・上巳(じょうし)の節句(桃の節句)
5月5日・・端午(たんご)の節句(菖蒲の節句)
7月7日・・七夕(しちせき)の節句(笹竹の節句)
9月9日・・重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)

九段縞は、昔あった重陽の節句にちなんだ柄を小さくしてデザイン化されたものだということです。







伊勢型

伊勢型








【伊勢型紙】
楮だけですいた美濃和紙に接着剤として柿渋の液を塗り、数枚貼り合わせたものが地紙(型紙の元)になります。
彫刻刀や小刀のような専用の道具を用いて地紙を彫り柄を作っていきます。
※錐彫り、突彫り、道具彫り、縞彫りなど彫り方によって刃先の形状が異なり、細かな柄になればなるほど卓越した技術が必要である事は言うまでも有りません。

錐(きり)彫り・・もっとも古くからある彫り技法、半円形の刃先の小刀を用い、丸い小さな穴を無数に開けてあらゆる文様を作り出します。小紋三役と呼ばれる鮫、通し、行儀といった文様は錐彫りの技法で彫られます。

突彫り・・友禅などやや大柄の文様を彫るのに適しています。細長い三日月型の小刀を使います。傾斜の付いた机の上に地紙を数枚重ねて穴板の上に置き、垂直に突く様にして小刀を彫り進めます。

道具彫り・・小刀の先が花、扇、菱などの形に作られているものを突いて彫り抜く技法。錐彫りとともに小紋用に最もよく用いられます。

縞彫り・・毛髪の様に微細な筋を何百本も彫って極細の縞柄を作る技法。

型紙は一度に数枚重ねて彫られます。出来上がった型紙は一定数染めると劣化して使えなくなるそうです。ゆえに型紙がすべて寿命を迎えた時その柄は終了となるのですが、その前に製作者な亡くなったとしても死してなお製作した型紙から作品が生み出されるという事に感動や深みを感じるとともに、いずれは型紙が役目を終えて消え去ってしまうという有限さに、儚さやノスタルジックな感情が湧き出るのです。

本作品「風水菊」に関しても、製作者 南部芳松氏はお亡くなりになっていますので、型紙が寿命を迎えると同時に二度と染める事は出来ません。












伊勢型

伊勢型






【伊勢型紙で染める】
板に貼られた白生地に型紙を置き防染糊を引いていきます。型に開いた隙間を通して生地に防染糊が付く事でその部分に色が染まらないようにします。
型紙を順番に送りながら糊を置いて行く作業は、染め上がった際に型紙の継ぎ目が分からないよう寸分の狂いも許されません。この工程が染め上がりの良し悪しに直結してしまう為、正に神業とも言える糊置きの技術が必要なのです。





浜紬 銀杏真綿
染め地に用いられている生地は、浜縮緬でお馴染みの滋賀県長浜市を産地とする紬織物です。
縮緬を織った後の残糸を使って織られ始め、次第に野蚕糸や真綿紬糸など様々な素材の糸が緯糸に用いられるようになり発展し、浜紬として世に知れ渡るようになりました。
縦糸には縮緬同様の無撚りの生糸が用いられ緯糸に真綿紬糸が打ち込まれていますので、しなやかな縮緬の魅力を併せ持つ独特の風合いに仕上げられています。

また、本品は真綿糸が部分的に茶色くなっています。これは銀杏の葉を食べたお蚕さんが履く絹が銀杏が持つタンニンの影響で茶色く変化している為です。
ぜんまい紬や栗繭紬にも似た素朴で味わい深い布に仕上がり、真綿の温もりと相まって自然の優しさに包まれているかのような感覚をお楽しみいただけます。
※生地には栗真綿紬と記載されていますが、本生地においては栗ではなく銀杏の葉を食べたお蚕さんが吐き出した絹です。










伊勢型

伊勢型

伊勢型


伊勢型

伊勢型

伊勢型








【伊勢型の歴史】
三重県鈴鹿市白子町、寺家町を産地とする伊勢型紙。
応仁の乱によって京都から逃げ延びてきた人々の中に型紙職人がいた事から伊勢型紙の産地となったと伝えられていますが、その歴史は定かではありません。
また、鈴鹿市にある子安観音寺には、今から1200年ほど昔 久大夫という翁が不断桜の落ち葉の虫食い跡がとても面白く、紙を切り抜き模様に仕立てる事を思いついたことが伊勢型紙の発祥という言い伝えも残っています。

その伊勢型紙を江戸を中心とした染屋が購入し、染師らの手によって染め物が生産されていました。江戸時代には武士の礼服である裃の模様として定められるようになり、武士達は競うようにより細かく高度な柄を求め伊勢型の技術が向上し発展して行きます。将軍や大名などは決まった模様が決められ、他のものがその柄を使用できないよう「留柄」「定め柄」とされていました。
その後江戸の町人らにも広がり、奢侈(ししゃ)禁止令(贅沢を禁止し倹約を推奨する命令)が出される中、遠目には地味に見える小さな柄の中に遊び心を取り入れた粋で洒落た柄を求め男女ともに流行していったのです。
その後、伊勢型で染められたものが江戸小紋と呼ばれるようになりました。

昭和30年 第1回 人間国宝 国の重要無形文化財技術保持者に、突彫りの南部芳松氏、道具彫りの中村勇二郎氏、錐(きり)彫りの初代 六谷梅軒氏が認定されました。







伊勢型







南部芳松(人間国宝)・・本品「九段縞」の型紙製作者 南部幸雄氏の父であり師

伊勢型 南部芳松






伊勢型紙の彫り師 南部幸雄氏(父は人間国宝 南部芳松)製作の型紙を用いて、伊勢型専門染工房 染処古今の染師染め上げました。

・南部幸雄・・・父である南部芳松氏に師事し伊勢型を極めるも60代の若さでお亡くなりになりました。



伊勢型


伊勢型



伊勢型







柄部分が色糊でしごき染めされている為、裏に色が通らず生成りの無地になっていますので単衣仕立てにされてもお洒落です。





伊勢型


伊勢型



お仕立ての際には下の画像の様に、九段縞のがらが縫い合わせでズレるように柄合わせさせていただきます。



伊勢型





彫師と染師の神業が共演して生まれる伊勢型小紋。南部幸雄氏の型紙を用いて伊勢型専門染職人が染め上げられた「九段縞」浜紬の生地が用いられておりお洒落着物としてお楽しみいただけます。
型紙の寿命が尽きる時、もう2度と手にする事は叶いません。
真摯なモノづくりをされる染処古今さんの手によって命が吹き込まれた名品を是非お手元にお迎え下さい。
スポットガーデン 筑摩和之








伊勢型

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伊勢型


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※写真と実物ではモニター環境などによって若干色が違って見えることがございます。

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伊勢型八掛


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