弐藍織(ふたあいおり)
奈良時代に日本に伝来した藍。染料と言えば藍のことを指していました。ゆえに、呉の国からもたらされた紅花染は、「呉より来た藍(染料)」 という意味から「くれあい」=「くれない」と呼ばれるようになったという説があります。
その名の通りの「藍」と呉の国から渡来した「紅」。2つの藍(染料)を使う染色技法を「弐藍(二藍/ふたあい)と呼び、藍色と紅色が混じり合う事で紫色になります。
一般的には藍染した上から紅花染を施す事で紫糸を表現することを弐藍と言いますが、本品については縦糸に藍染糸、緯糸に紅花染の糸を用いています。先染めの2色の糸を用いる事で角度によって色の見え方が変化し、藍色が強く見えたり赤味が強く見えたり、その中間を色目に見えるなど玉虫色に変化して表情豊かな面持ちを見せてくれるのです。
藍は白鷹町と友好関係にある徳島県上板町の「すくも」、紅花は白鷹町の最上紅が用いられており、日本最古の藍と紅花、2つの色を伝承させる町の誇りが垣間見ることが出来るのです。
紅花の歴史
紅花の歴史は古く、紀元前のエジプトでは染料として使用されていたことが分かっており、その後シルクロードを経由して3世紀末に日本に伝来し日本各地で栽培されるようになりました。
江戸時代においては山形県が全国の4割もの生産量を誇る一大産地として最盛期をむかえ、当時の日本の特産物を番付にした「諸国産物見立相撲番付」においては山形県の最上紅(もがみべに)が東の関脇。阿波の藍玉が西の関脇に選ばれていることからも、それらが国内2大染料だったことがうかがえます。
当地の気候や土壌が紅花の栽培に適していたこともありますが、最上川流域という立地が船による運搬に便利であったことも一大産地となった理由のようです。
当時高級染料として人気の高かった紅花は、最上川から日本海経由で敦賀に渡り京都へ運ばれていました。
京の女性達の口紅や頬紅として、また着物の染料として使用されていた紅花はとても希少な染料でした。一般庶民は手に入れることが出来ず富裕層のみが利用できる超高級品であり、当然のごとく山形で栽培している農家の方にとっても無縁の存在だったのです。
明治時代に入ると安価な中国産の紅花の輸入や化学染料の普及により最上紅の栽培は急激に減少し、明治10年頃には壊滅状態になってしまいました。
そのような状況の中、戦後ある農家の納屋に残っていた紅花の種子が見つかり発芽したことをきっかけにして復興されました。
その後、紅花の特性に目を付けた大手化粧品会社との栽培契約により再度盛隆を迎えた紅花産業ですが、その大手化粧品会社の撤退により急速に生産量は落ち込んでしまいました。
現在では本物志向の高級染料として、また機能性食材として栽培され山形県の県花にも指定されています。
紅花染~紅一斤・金一斤~
紅花から抽出される色素は紅色と黄色の2色です。
この黄色の色素は水に溶ける性質があるので染料として抽出するのは比較的容易です。
摘んだ紅花の花びらを水に晒すと黄色の色素が流れ出します。
その後、花びらを足でつぶして数日放置し自然発酵させると赤く変化します。その発酵したものを臼ですり潰して煎餅のようを形作り乾燥させます。それを花餅(紅餅)と呼び江戸時代には京都へと運ばれていきました。
その紅色の色素は水に溶けない性質をもっているため灰汁によってアルカリ性にし、女性の口紅や頬紅といった化粧道具や糸を染める染料として重宝されていました。
紅花染料の中でも口紅や頬紅などに用いられる紅色は、生花の0.3%程度しか取れず「紅一匁 金一匁」と言われるほど高価な物でしたので富裕層しか使うことが出来ず、京都の一般庶民はもちろん紅花栽培農家の人々にとっては無縁のものだったのです。
藍染…世界に誇るジャパンブルー紀元前6,000年頃から西アジアで使われていた程に古い歴史を持つ藍染。日本には約1,500年昔の奈良時代に伝来し、奈良時代から平安時代には宮廷貴族の間で用いられ、高貴な青色として珍重されていました。戦国時代には縁起担ぎの色として身に付けられ、藍染の濃紺は「勝ち色」として好まれていました。そして江戸時代には木綿の普及により庶民にも広がり、着物 作業着や暖簾など日常に欠かせない染色技術になりました。貴族から武士、そして庶民へと広がった藍染は日本の伝統文化として根付き、日本の心を象徴する色なのです。そして徳島県の阿波藍など高品質な藍染が大量生産されるようになり、明治時代には「ジャパンブルー」として海外から称賛されるようになりました。後に、合成染料やインド藍が普及するに連れて生産量は減少しましたが、現在においても私たちの心に響くジャパンブルーとして伝承され続けているのです。
阿波藍 徳島県の吉野川流域は川の氾濫か肥沃な土壌を生み、藍の栽培に適していたことから藍作りの全国有数の産地となりました。その中でも上板町は平安時代末期から藍の栽培と「すくも」づくりが始まった長い歴史を持ち、江戸時代には上板町の藍は全国的なブランドとなりました。本品は上板町産の藍を用いて糸染めされています。