
弐藍織
紅花染 × 藍染
甘過ぎない大人色
自然の恵み 手仕事の温もり
白鷹織 置賜紬
吉野織の光沢
手織りのしなやかさ
10周年感謝特価
「紅と藍」古来より高貴な色とされてきた2つの染色技法。自然の恵と手仕事が融合して一つの作品が生まれました。
山形県の紅を緯糸に、徳島県の藍を縦糸に、染と織りの職人達の技がここに結集。
山形県の紅を緯糸に、徳島県の藍を縦糸に、染と織りの職人達の技がここに結集。
手織りによって製織された弐藍織の名品を10周年感謝特価でお届けします。


縦糸に藍染の青色、緯糸に紅花染の紅色の先染め糸が用いられているため角度によって藍色が強く見える部分と紅色が強く見える部分が現れており、ボカシ染めが施されているわけではございません。(全体的には緯糸の紅色が強めに出ており、そこに縦糸の藍色が作用して紫がかったピンクに見えます。)



【産地】山形県西置賜郡白鷹町
【製造元】小松織物工房 伝統的工芸品 小松寛幸
【品質】絹100%
【染色】縦糸:阿波藍 緯糸:最上紅花
【製織方法】高機手織り 綾織 吉野織
【着用時期】9月~翌年6月 袷・単衣シーズン
【生地幅】約38.5cm(裄丈71cm 1尺8寸8分程度まで対応)
江戸中期 上杉鷹山公によって確立された陸奥(みちのく)の織物、山形県で織継がれる伝統工芸品「置賜紬」。縦糸に徳島県産の阿波藍、緯糸には地元産の最上紅花の染料で染め上げられた先染め糸を用いた弐藍織(ふたあい)。吉野織りによって格子模様があらわされた織物は、玉虫のように角度によって色の見え方が異なる様子が幻想的であり艶やかに輝く絹の光沢感はエレガントな着姿を演出するのです。そして手織りによって製織されたしなやかな風合いは抜群の着心地の良さを生み出し、紬糸ではなく生糸が用いられていますので、カジュアルな装いからドレスアップスタイルまで自在なコーディネートをお楽しみいただけます。またしっかりとした風合いとサラリとした肌触りですので単衣仕立てにもおススメです。




弐藍織(ふたあいおり)
奈良時代に日本に伝来した藍。染料と言えば藍のことを指していました。ゆえに、呉の国からもたらされた紅花染は、「呉より来た藍(染料)」 という意味から「くれあい」=「くれない」と呼ばれるようになったという説があります。
その名の通りの「藍」と呉の国から渡来した「紅」。2つの藍(染料)を使う染色技法を「弐藍(二藍/ふたあい)と呼び、藍色と紅色が混じり合う事で紫色になります。
一般的には藍染した上から紅花染を施す事で紫糸を表現することを弐藍と言いますが、本品については縦糸に藍染糸、緯糸に紅花染の糸を用いています。先染めの2色の糸を用いる事で角度によって色の見え方が変化し、藍色が強く見えたり赤味が強く見えたり、その中間を色目に見えるなど玉虫色に変化して表情豊かな面持ちを見せてくれるのです。
藍は白鷹町と友好関係にある徳島県上板町の「すくも」、紅花は白鷹町の最上紅が用いられており、日本最古の藍と紅花、2つの色を伝承させる町の誇りが垣間見ることが出来るのです。
奈良時代に日本に伝来した藍。染料と言えば藍のことを指していました。ゆえに、呉の国からもたらされた紅花染は、「呉より来た藍(染料)」 という意味から「くれあい」=「くれない」と呼ばれるようになったという説があります。
その名の通りの「藍」と呉の国から渡来した「紅」。2つの藍(染料)を使う染色技法を「弐藍(二藍/ふたあい)と呼び、藍色と紅色が混じり合う事で紫色になります。
一般的には藍染した上から紅花染を施す事で紫糸を表現することを弐藍と言いますが、本品については縦糸に藍染糸、緯糸に紅花染の糸を用いています。先染めの2色の糸を用いる事で角度によって色の見え方が変化し、藍色が強く見えたり赤味が強く見えたり、その中間を色目に見えるなど玉虫色に変化して表情豊かな面持ちを見せてくれるのです。
藍は白鷹町と友好関係にある徳島県上板町の「すくも」、紅花は白鷹町の最上紅が用いられており、日本最古の藍と紅花、2つの色を伝承させる町の誇りが垣間見ることが出来るのです。

縦糸:阿波藍染め 緯糸:最上紅染め



反物の端の一部に藍染糸の色が分かりやすいよう白の緯糸で織られている箇所があります。(この部分は仕立ての際は使いません。)

地元の新聞でも紹介されています。



紅花の歴史
紅花の歴史は古く、紀元前のエジプトでは染料として使用されていたことが分かっており、その後シルクロードを経由して3世紀末に日本に伝来し日本各地で栽培されるようになりました。
江戸時代においては山形県が全国の4割もの生産量を誇る一大産地として最盛期をむかえ、当時の日本の特産物を番付にした「諸国産物見立相撲番付」においては山形県の最上紅(もがみべに)が東の関脇。阿波の藍玉が西の関脇に選ばれていることからも、それらが国内2大染料だったことがうかがえます。
当地の気候や土壌が紅花の栽培に適していたこともありますが、最上川流域という立地が船による運搬に便利であったことも一大産地となった理由のようです。
当時高級染料として人気の高かった紅花は、最上川から日本海経由で敦賀に渡り京都へ運ばれていました。
京の女性達の口紅や頬紅として、また着物の染料として使用されていた紅花はとても希少な染料でした。一般庶民は手に入れることが出来ず富裕層のみが利用できる超高級品であり、当然のごとく山形で栽培している農家の方にとっても無縁の存在だったのです。
明治時代に入ると安価な中国産の紅花の輸入や化学染料の普及により最上紅の栽培は急激に減少し、明治10年頃には壊滅状態になってしまいました。
そのような状況の中、戦後ある農家の納屋に残っていた紅花の種子が見つかり発芽したことをきっかけにして復興されました。
その後、紅花の特性に目を付けた大手化粧品会社との栽培契約により再度盛隆を迎えた紅花産業ですが、その大手化粧品会社の撤退により急速に生産量は落ち込んでしまいました。
現在では本物志向の高級染料として、また機能性食材として栽培され山形県の県花にも指定されています。
紅花染~紅一斤・金一斤~
紅花から抽出される色素は紅色と黄色の2色です。
この黄色の色素は水に溶ける性質があるので染料として抽出するのは比較的容易です。
摘んだ紅花の花びらを水に晒すと黄色の色素が流れ出します。
その後、花びらを足でつぶして数日放置し自然発酵させると赤く変化します。その発酵したものを臼ですり潰して煎餅のようを形作り乾燥させます。それを花餅(紅餅)と呼び江戸時代には京都へと運ばれていきました。
その紅色の色素は水に溶けない性質をもっているため灰汁によってアルカリ性にし、女性の口紅や頬紅といった化粧道具や糸を染める染料として重宝されていました。
紅花染料の中でも口紅や頬紅などに用いられる紅色は、生花の0.3%程度しか取れず「紅一匁 金一匁」と言われるほど高価な物でしたので富裕層しか使うことが出来ず、京都の一般庶民はもちろん紅花栽培農家の人々にとっては無縁のものだったのです。

藍染…世界に誇るジャパンブルー
紀元前6,000年頃から西アジアで使われていた程に古い歴史を持つ藍染。日本には約1,500年昔の奈良時代に伝来し、奈良時代から平安時代には宮廷貴族の間で用いられ、高貴な青色として珍重されていました。戦国時代には縁起担ぎの色として身に付けられ、藍染の濃紺は「勝ち色」として好まれていました。そして江戸時代には木綿の普及により庶民にも広がり、着物 作業着や暖簾など日常に欠かせない染色技術になりました。
貴族から武士、そして庶民へと広がった藍染は日本の伝統文化として根付き、日本の心を象徴する色なのです。
そして徳島県の阿波藍など高品質な藍染が大量生産されるようになり、明治時代には「ジャパンブルー」として海外から称賛されるようになりました。後に、合成染料やインド藍が普及するに連れて生産量は減少しましたが、現在においても私たちの心に響くジャパンブルーとして伝承され続けているのです。

阿波藍
徳島県の吉野川流域は川の氾濫か肥沃な土壌を生み、藍の栽培に適していたことから藍作りの全国有数の産地となりました。その中でも上板町は平安時代末期から藍の栽培と「すくも」づくりが始まった長い歴史を持ち、江戸時代には上板町の藍は全国的なブランドとなりました。本品は上板町産の藍を用いて糸染めされています。
紀元前6,000年頃から西アジアで使われていた程に古い歴史を持つ藍染。日本には約1,500年昔の奈良時代に伝来し、奈良時代から平安時代には宮廷貴族の間で用いられ、高貴な青色として珍重されていました。戦国時代には縁起担ぎの色として身に付けられ、藍染の濃紺は「勝ち色」として好まれていました。そして江戸時代には木綿の普及により庶民にも広がり、着物 作業着や暖簾など日常に欠かせない染色技術になりました。
貴族から武士、そして庶民へと広がった藍染は日本の伝統文化として根付き、日本の心を象徴する色なのです。
そして徳島県の阿波藍など高品質な藍染が大量生産されるようになり、明治時代には「ジャパンブルー」として海外から称賛されるようになりました。後に、合成染料やインド藍が普及するに連れて生産量は減少しましたが、現在においても私たちの心に響くジャパンブルーとして伝承され続けているのです。

徳島県の吉野川流域は川の氾濫か肥沃な土壌を生み、藍の栽培に適していたことから藍作りの全国有数の産地となりました。その中でも上板町は平安時代末期から藍の栽培と「すくも」づくりが始まった長い歴史を持ち、江戸時代には上板町の藍は全国的なブランドとなりました。本品は上板町産の藍を用いて糸染めされています。


草木染の魅力
草木染が放つ有機的な揺らぎが優しく目に映ります。化学染料のように絶対的な無機質な色では無く、どこか曖昧さを感じさせ、目に見える色の向こう側に別の色が見え隠れするような柔らかさは深みや味わいと表現するしかないのかもしれません。また、草木によって染められた色は日々変化していきます。それは退色ではなく時が経つにつれて染料が糸に深く浸透していくためです。その変化は目に見えるものではないかもしれませんが、長い時を経てゆっくりと変わっていくのです。手元に渡ってからも貴女と一緒の時間を共有しながら成長していくといっても良いかもしれません。袖を通すごと、時間が経てば経つほど愛着が湧いてくるのが草木染の魅力です。

吉野織
数本の縦糸または緯糸を覆うように製織することで立体的な畦が現れ、縞や格子模様を表現する織技法が吉野織です。そして吉野織が交差する箇所に眼鏡状の箇所が出来ます。



手織りの魅力
「とんとん♪ とんととん♪」心地よいリズムに乗って聞こえる機織りの音。ただひたすら機に向かい緯糸を打ち込んでいく。布の声を聞きながら糸を労わるように、しかし力強く織り進める手織りの作業は心を乱す事が許されない正確さが求められます。それは自分自身と向かい合い我を見つめ直すかのような作業であり、集中力と根気強さを必要とします。高度な技術と人の感度によって糸の状態や湿度などを見極めて打ち込み具合を加減する。機械織りでは決して感じることが出来ない優しさは手仕事がもたらす温もりであり、体に沿う着心地の良さが手織り最大の魅力なのです。しかし職人の高齢化と後継者不足により手織りの品は今後ますます希少なものになってしまうのです。
「とんとん♪ とんととん♪」心地よいリズムに乗って聞こえる機織りの音。ただひたすら機に向かい緯糸を打ち込んでいく。布の声を聞きながら糸を労わるように、しかし力強く織り進める手織りの作業は心を乱す事が許されない正確さが求められます。それは自分自身と向かい合い我を見つめ直すかのような作業であり、集中力と根気強さを必要とします。高度な技術と人の感度によって糸の状態や湿度などを見極めて打ち込み具合を加減する。機械織りでは決して感じることが出来ない優しさは手仕事がもたらす温もりであり、体に沿う着心地の良さが手織り最大の魅力なのです。しかし職人の高齢化と後継者不足により手織りの品は今後ますます希少なものになってしまうのです。
置賜紬証紙の「高機(たかはた)」に〇印がついています。
※一般的に思い浮かべる手織りは「地機」と「高機」です。その他に関しては部分的に機械を含む動力が用いられています。

高機織り




置賜紬
山形県 白鷹町、長井市、米沢市をまたがる一帯を総称して置賜地方と呼ばれています。江戸時代初期 直江兼続の施策により青苧が栽培され各地に出荷されていた原材料の生産地であった米沢藩は、第9代藩主 上杉鷹山公の頃より養蚕に転換し、その後 新潟県(越後)から織の職人を招き絹織物が生産されるようになりました。以後日本国内でも有数の染織の産地として現在に至り、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されています。

白鷹織の製造元は小松織物工房さんを含む2社しか残っていません。





陸奥の地で織継がれる草木染・手織りの逸品「弐藍織」、草木染めの揺らぎ色が趣深く、エレガントな絹の煌めきが美しい着姿に仕上げます。カジュアルな装いからドレスアップシーンまで自在にコーディネートしてお楽しみください。決して量産できるお品ではございません。価格においても自信を持っておススメしますのでお目に留まりましたらお見逃しなくお迎えください。
スポットガーデン 筑摩和之




※写真と実物ではモニター環境などによって若干色が違って見えることがございます。
※価格にはお仕立て代は含まれておりません。(お仕立てはオプションより商品と同時にご注文下さい)
※ご購入手続き完了後、すぐに注文確認メールが届きます。(自動配信メール)
その後、通常24時間以内に店舗(店主 筑摩)よりお仕立て内容についてのメールを送りますので今しばらくお待ちください。
お仕立てに関して詳しくはこちらをご覧ください。
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八掛地に関しては、ボカシ八掛地をおススメします。
無地を付けられると胴裏地との色の境目が表に映りますので予めご了承ください。
★八掛地の色をお任せでご依頼される場合は「八掛色NO」記入欄にご希望の色目を記入して下さい。こちらで候補を選定後メールにて最終確認させて頂きます。
※色はご注文完了後にゆっくりお考えいただいても構いません。(八掛NO記入欄に「注文後決定」と記入して下さい。)
【八掛地は下の画像をクリックしてお選びください】






























